January 15, 2011

ゆとり

ひとにはそれぞれ自分なりの尺度があると思う 

僕は自分の尺度でいつも他人の聖域(といったら大袈裟かもしれないけど)を侵してしまうところがある

もちろん悪気はないのだけれど、 気付くと他人の庭に勝手に入り込んでいる自分にはっとする


これに限ったことではないけれど、

もっと自分を客観的にみれるゆとりみたいなものが心底ほしいと思うんです、いろんな意味で


しかし、つくづく文才なっしんぐ(笑)

     *

I suppose everybody has a 'criterion' of one's own.

I often violate the other people's territory, though ,of course, I don't mean to do like that.

And suddenly, I notice myself standing on the other's garden.


Well... anyway, I wanna have a space of mind such as I could look at myself more objectively.


P.S. I wish I could tell you all of my thoughts in English...(^^;


                                                                       * Translated into English on 21st Jan.

2 comments:

  1. 初めてこちらでコメさせて頂きますですーオジャマシマス・・・

    人は誰でも自分の尺度からなかなか出れんもんですよ。

    だけども他人と繋がってないと生きていけませんからね。なんで大変だし、悩むんですねぇ。

    自分を客観的に見るというのは、言葉にすると超簡単なんですけど、それほど難しいもんは無いと思うんですよね。実際。

    自分自身の中にも見たくない事や認めたくない過去もあったりしますから。

    なんで余裕というよりも、そういう自分も含めて他人を認めてあげれる人の事を

    「心に余裕のある人」

    なんて世間様では言ってるのかもしれません。

    あー。難しいすなあ。人間て、、だがそれがいい。

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  2. nawoさん、こんにちは。^^
    コメントいただきありがとうございます。
    おっしゃる通りだと思います。
    ひとそれぞれ考え方も違うし、尺度なんて言葉使うまでもないただの愚痴話で恐縮してます。^^;
    ただ、特に今の時代はこういうネットありきの社会の中で、人との繋がり方もいろいろな形があると思うし、
    そんなこんなが混在してるような状況の中で、皆それぞれ人との距離感というかスタンスというか、
    少なからず変える必要性が出てきたり(適当な表現か分かりませんが)、
    で、それは必ずしもひとつの尺度で計れるものではないと今さらながら思ってる今日この頃ですw
    当たり前の話かもしれないですけど、
    自分自身こういったブログやいろんなSNSに参加するようになってあらためて実感するんです。

    自分を客観視する...nawoさんのおっしゃる通り、難しいと思います。
    僕の場合は、何につけ追い込まれた状況になると、周りが見えなくなって思考が内に内に向いてしまうんです。
    そうなるともう負の連鎖...ブラックホール状態(笑)
    そういう時切実に思うんですよねえ、ふと視線をあさってに向けて一度深呼吸して、
    で、そこから自分を振り返ってみる...みたいな"ゆとり"のようなもの。

    でもnawoさんが言われた、"そういう自分も含めて認めてあげれる心の余裕"
    そのお言葉、とても温かくなりました。
    本当に勇気づけられるお言葉、
    あらためて感謝申し上げます。
    なんか支離滅裂かつ長文で大変失礼しました。
    これに懲りずこれからもどうぞよろしくです (*^^)v

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